★ ISHIN no HIKARI ★ 長州美祢維新の光

金麗社

金麗社

●幕末の美祢〜 金麗社 菅原道真を祀る天神様で、古くから土地の人に親しまれてきた神社です。大田絵堂の戦いの時には諸隊の本営となり、高杉晋作や山県有朋らが軍議を行いました。また、戦勝祈願のもとどりが奉納されていたそうです。(昭和に処分され現存 …

膺懲隊宿営地跡

膺懲隊宿営地跡

●幕末の美祢〜膺懲隊(ようちょうたい)宿営地跡 元治元年(1864 年)12 月。保守派(萩藩軍)と革新派(諸隊)はにらみ合いを続けていました。 このあと正月明けに「大田絵堂の戦い」開戦となりますが、この時期、諸隊の中の膺懲隊および御楯隊が …

吉田松陰投宿跡

吉田松陰投宿跡

●幕末の美祢〜 吉田松陰投宿跡 伊佐と厚保のほぼ中間に位置する四郎ヶ原の集落は、江戸時代、萩から5つ目に位置する宿場でした。 嘉永3年(1850 年)、20 歳の吉田寅次郎(松陰)が、九州遊学に向かう途中でこの四郎ヶ原宿に泊まったことが、本 …

諸隊宿陣跡

諸隊宿陣跡

●幕末の美祢〜 諸隊宿陣跡 専正寺のすぐ近くに「諸隊宿陣跡」の標識が立っています。奇兵隊、南園隊、八幡隊らの隊士がこの一帯ではやる気持ちを抑え、状況を見守っていました。そこにやってきたのが、土佐藩の中岡慎太郎。中岡慎太郎といえば陸援隊を組織 …

専正寺

専正寺

●幕末の美祢〜 「専正寺」(諸隊本営) 伊佐よりさらに大田絵堂に寄った場所にあるのが河原地区です。江戸時代は宿場町でした。 元治元年(1864 年)12 月26 日、保守派(萩政府軍)が萩城下を出立。諸隊ら革新派との関係がいよいよ一触即発と …

一国オトク誕生地

一国オトク誕生地

●幕末の美祢〜 一国オトク誕生地〜 元治元年(1864 年)12 月、七卿のうちの二人、三条西季知(さんじょうにしすえとも)と四条隆謌(しじょうたかうた)がこの地に宿泊した際に給仕を務め、さらに下関まで随行したことで「勤皇の女丈夫」と呼ばれ …

下領八幡宮

下領八幡宮

下領八幡宮(広岡浪秀 ゆかりの神社) 廣岡浪秀(ひろおかなみほ)は下領八幡宮(下領八幡磨能峰宮 シモリョウヤハタウスノミネグウ)の神職の子として生まれました。国学とともに剣術を学び、文久2年(1862年)に京に上ると、久坂玄瑞・高杉晋作・桂 …

友善塾跡

友善塾跡

◆玉木文之進ゆかり「友善塾跡」知っちょる? 安政3年(1856年)、有志によって吉田宰判(宰判とは長州藩独特の行政区分の名称)の文武稽古場がここに建てられました。 翌年、吉田宰判の代官として赴任してきたのが名代官、玉木文之進。吉田松陰の叔父 …

奇兵隊本陣跡

奇兵隊本陣跡

幕末美祢めぐり 又兵衛が、晋作が、狂介が駆けた美祢 伊佐・河原周辺編 ●奇兵隊本陣跡 奇兵隊の山縣狂介(有朋)が本陣とした場所です。庄屋だった家で、古い門が今も雰囲気を伝えてくれます。 この時、長州に落ち延びていた長州寄りの7人の公卿(七卿 …

来嶋又兵衛ってナニモノ?

来嶋又兵衛ってナニモノ?

ここに来てではありますが…「来嶋又兵衛ってナニモノ?」 「来嶋のじいさん」こと来嶋又兵衛。熱いキャラクターでお馴染みの志士です。 又兵衛は文化14年(1817年)、厚狭郡西高泊村で生まれました。若い頃から武術修業に励み、剣道では2つの流派の …